【ネタバレ】沈黙-サイレンス-のラストシーンをクリスチャンが解説します

こんにちは、ガチレズクリスチャンのあやめです。

 

今回は、映画「沈黙-サイレンス-」のラストシーンについて解説します。

映画版のネタバレをガッツリと書きます!

よりによって、ラストシーンです。

まだ映画を見ていない方は、ブラウザをそっと閉じましょう。

映画を見た後に、このブログを見たほうが絶対楽しめます!

 

映画『沈黙‐サイレンス‐』公式サイト

 

17世紀、江戸初期。幕府による激しいキリシタン弾圧下の長崎。日本で捕えられ棄教 (信仰を捨てる事)したとされる高名な宣教師フェレイラを追い、弟子のロドリゴとガルペは 日本人キチジローの手引きでマカオから長崎へと潜入する。

日本にたどりついた彼らは想像を絶する光景に驚愕しつつも、その中で弾圧を逃れた“隠れキリシタン”と呼ばれる日本人らと出会う。それも束の間、幕府の取締りは厳しさを増し、キチジローの裏切りにより遂にロドリゴらも囚われの身に。頑ななロドリゴに対し、長崎奉行の 井上筑後守は「お前のせいでキリシタンどもが苦しむのだ」と棄教を迫る。そして次々と犠牲になる人々―

守るべきは大いなる信念か、目の前の弱々しい命か。心に迷いが生じた事でわかった、強いと疑わなかった自分自身の弱さ。追い詰められた彼の決断とは―

映画 沈黙-サイレンス-公式HPより 2017年01月30日現在

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいんですね。読んじゃうんですね。

いいでしょう!

 

ラストシーンに込められたキリスト教の徴を解説します!

本当にロドリゴ神父は背教者だったのか

 

今回は、尋問の末に踏み絵を踏んだロドリゴ神父のその後についての解説です。

踏み絵を踏んだあとのロドリゴ神父は

江戸で亡くなった岡田三右衛門の名前と妻子を継ぎ

背教者として祈りひとつ唱えなかったと語られています。

 

彼は、映画の中で

「転びのポウロ」

「背教者」

「棄教者」

と散々な言われようですが、その死に様はまさにクリスチャンでした。

 

よーく見るとおかしいロドリゴ神父の仏前の花

 

 

ロドリゴ神父が岡田三右衛門として死んだ棺桶の前には

仏花の白百合と香立てと箸を立てたごはんという

簡素な仏壇が置かれていました。

 

でも待ってください。

日本においての仏花は「白菊」なんです。

 

その証拠に、火葬場で経を唱えているお坊さんの隣には

「白菊」と葉をつけた枝(おそらく榊)が生けてありました。

 

なぜ白百合が選ばれたのでしょうか?

実は、白百合はキリスト教に縁の深い花なんです。

 

キリスト教での白百合の意味

 

キリスト教において、白百合はイースターというキリストの復活祭で使用する花。

3~4月ごろには、教会に白百合が飾られます。

そのため、復活の象徴として扱われるのです。

転じて、クリスチャンの葬式でも使用されます。

 

それに加えて、カトリックにおいて白百合は聖母マリアの花。

マリア様がみてるで登場する賛美歌「マリアさまのこころ」でも

 

「マリアさまのこころ、それは山百合。私たちもほしい、白い山百合。」というフレーズがあります。

 

白百合は、キリスト教に深いかかわりのある花なのです。

 

なぜ白百合を飾ることができたのか?

 

キリスト教の文化である白百合。

なぜ仏花として飾ることができたのでしょうか。

 

わたしは2つの想像をしてみました。

  • ロドリゴ神父の妻の尽力があったこと。
  • お目付け役が若かったこと。

 

 

ロドリゴ神父の妻はどんな人だったのか

 

ロドリゴ神父の妻となった女性はどんな人だったのか

映画では詳しく書かれていないので、旦那の名前から推察してみます。

 

「岡田三右衛門」

名字まできっちり揃っていますね。

 

筑後守の井上が持ってきた名前ですから、武士や学者などの位の高い方だったでしょう。

武家に生まれた女性だったかもしれません。

旦那の言いつけを守る貞淑な妻だったのでしょう。

 

旦那である岡田三右衛門に

「わたしの墓前には白百合を手向けてくれ」といわれたら

きっちりと揃えてくれるでしょう。

 

ロドリゴ神父の妻の姿:映画の中で全く話さない女性

 

この女性は、映画に出たのは数分で、全く言葉を話しません。

そのかわり、踏み絵を踏むとき、守り刀を亡くなったロドリゴ神父に持たせるとき

石に瓦か皿を叩きつけるときの無表情が頭に残ります。

 

 ロドリゴ神父の妻が背負ったもの:家の存続

 

彼女は何かのトラブルで、旦那を一度失っています。

それがキリシタン刈りだったのか、病死なのかは分かりません。

武家にとって、お家おとりつぶしは恥。

なんとしても回避したかったでしょう。

 

そして、紹介された旦那は異国人。

キリシタンであった人です。

穏やかな日常と定期的に起こる踏み絵の試練。

 

彼女にとって日常生活は命がけだったかもしれません。

そんな中揃えてた白百合は、奉行に目をつけられてはどうしよう。

それでも、旦那のために揃えなければ、と高難易度の試練だったでしょう。

 

彼女は、無表情の中で戦っていたのです。

 

若いお目付け役:奉行の人たちが花の意味を知らなかった説

 

どんなに妻が苦心した白百合でも、奉行が意味を見破ればおしまいです。

しかし、奉行は見破ることができませんでした。

 

その大きな理由は、お目付け役が若かったことです。

 

若いお目付け役は生のキリスト教を見たことがない世代

 

禁教令が発令されて半世紀以上が経ちました。

ロドリゴ神父が消息不明な師を追って日本に来たときでさえ8年以上のブランクがありました。

8年の月日は教えが削ぎ落とされるには十分な時間です。

 

復活祭など盛大にできなかったでしょうから

イースターに白百合を飾ることもできなかったでしょう。

イースターの日は毎年変わりますから、ロドリゴ神父が来日したときにはすでに

キリスト教の暦を数えられなかったかもしれません。

 

キリシタンの中で消えてしまった習慣ならば

奉行がその習慣を目にすることもできなかったでしょう。

 

 もしかしたら白百合が飾れなかったかもしれない

 

沈黙の登場人物のなかで、唯一見破ることができたのはだれか。

筑後守である井上です。

 

映画では描かれていませんが、彼はキリスト教が禁教になる前

日本に建てられたセミナリヨ(神学校)に通い、洗礼まで受けていました。

幼少期の記憶を頼りに、白百合=キリスト教と関連付けられたらおしまいです。

 

しかし、彼はロドリゴ神父が来日したときすでに

介添えがなければ立ち上がれないほどの高齢者でした。

ロドリゴ神父の前に亡くなっていたでしょう。

 

沈黙-サイレンス-ラストシーンまとめ

 

ロドリゴ神父の密やかな信仰の徴は

妻の尽力と

筑後守の井上がいなくなったタイミングだからこそ

白百合という形で現れたのだと思います。

ロドリゴ神父が棺の中で大切に抱えていた十字架も印象的でしたね。

どんなに見た目が背教者でも、神はその人に寄り添ってくれるのです。

 

それでは!