こんにちは、あやめです。
今回の聖書ネタのテーマは犬!ワンコです!
今ではペットとして買われている犬ですが、聖書世界だと事情が違うようなのです。
聖書的犬の価値観:昔の犬=汚い?
世界的に日本犬である柴犬や秋田犬がブームになっています。
家でくつろぐ犬って見てて飽きないですよね。
ブティックしまむらで買った
柴犬クッション pic.twitter.com/GvdjjW0cVP— mesomeso (@mesomeso1009) 2016年7月20日
しかし、聖書世界における犬はかわいいというイメージからは程遠いのです。
パレスチナの犬はインドの野ら犬や不浪人のように野性の汚いものであった。昔は市街や郊外をさまよい(詩59,6,14)捨てられたものをあさり(出22,31),血をなめ(列上22,38 詩68,33),死肉を食った(列上41,11 16,4 列下9,35・36)。
(略)犬はすぐに野生化しやすい。その食物や習性のゆえに、汚いものとされた。人を犬と呼ぶことは、はなはだしい侮辱を意味する(サム上17,43 列下8,13)
聖書辞典 1961年いのちのことば社 787p
この頃の犬はペットではなく、汚い獣というイメージだったのですね。
近所の野良犬。車のバッテリーのお店の前に居着いていて、一時は亡き虎毛の捨て犬兄弟、ヤーオとティアと一緒に行動していた。 / タイ・バンコク https://t.co/LqcopyXTUj pic.twitter.com/ooRz0QcTyX
— 渡辺のり子 (@inu_grapher) 2016年6月29日
このことを踏まえて聖書を読むと、より一層イメージが深まります。
金持ちと貧乏人のラザロのたとえ
ルカによる福音書16章19~21
19ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
20ところが、その門前にラザロという全身おできの貧乏人が寝ていて、
21金持ちの食卓から落ちるもので腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。
いのちのことば社 聖書 新改訳 1970年
お金持ちと貧乏人の例え話のシーンです。
犬=汚いというイメージから、犬が寄り付くくらいに彼は汚れてしまっていることが伺えます。
また、20節の「金持ちの食卓から落ちるもので」というのは、犬が取って食べられるものという意味で
犬が食べるような汚いものでも食べたいと思うくらいに飢えていたということなのです。
ギリシャ人の母子=仔犬
また、ユダヤ人は異邦人のことを犬に例えることもありました。
それくらい異邦人は汚らしいということです。
そのため、ギリシャ人の母親が娘を癒やしてもらうためにイエスの前に来た時、イエスはこんなことをいいました。
マルコによる福音書8章27~30
27するとイエスは言われた。「まず子どもたちに満腹させなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、子犬に投げてやるのはよくないことです。」
28しかし、女は答えて言った。「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の子犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。」
29そこでイエスは言われた。「そこまで言うのですか。それなら家にお帰りなさい。悪例はあなたの娘から出て行きました。」
30女が家に帰ってみると、その子は床の上に伏せっており、悪霊はもう出ていた。
いのちのことば社 聖書 新改訳 1970年
ここに出てくる子犬とは成犬よりも取るに足らないものということです。
娘を癒やしてほしいと願ったこの女性は、
女性である(成人男性=人ではない)+ギリシャ人(ユダヤ人ではない)というマイノリティ二重苦。
そして、治してほしいのはその娘。
目の前に飛び出しても蹴り飛ばされてしまう子犬のように弱い存在だったのです。
そんな子犬でもいただける恵みはありますと素直に言い表した彼女の信仰により
娘は癒やされたのです。
言葉の意味を知ると聖書がもっと深くわかる!
私たちはつい、同じ言葉を見ると現代のイメージで読んでしまうことがあります。
ことばを知っていると、より一層聖書のことがわかるのです!
知れば知るほど、聖書はもっと面白くなる!
もっと楽しい聖書の読み方を研究します!
それでは!