こんにちは、あやめです。
何かで迷った時、「迷える子羊」という言葉を使ったことありませんか?
しかし、なぜ「迷える子羊」なのでしょうか?
実は、聖書のたとえ話が元になっているんです。
イエスは例え話の中で
- 神さまは迷った子羊を探すように迷った人を探していてくださる
- 迷った人が帰ってきた喜びはすでにいる99人よりも大きい
ということを教えてくれているんですね。
注意:聖書では羊となっていますが、メッセージの際迷いやすいもののたとえとして、子羊が好んで使われています。
Contents
イエスのたとえ話:迷った羊と羊飼い
むかしむかし、ある所に羊飼いがいました。
その人には100匹の羊がいて、みんなを家族同然にかわいがっていました。
羊飼いは、羊に草を食べさせるために、野原に羊を連れて行きました。
その中に、まだ幼い子羊がいました。
その子は見るもの全てが面白くて、野原を飛び跳ねています。
あらら、子羊はだんだん群れからはなれて一人でどこかにいってしまいました。
一匹足りないことに気がつく羊飼い
羊飼いは子羊に気がつくことができませんでした。
羊を野原から小屋へと移動させながら数を数えていると、どうしても99匹しかいないのです。
なんども羊を数え直しましたが、どうしても1匹足りません。
羊飼いは、野原の羊を全て残したまま、大急ぎで子羊を探しに行きました。
迷える仔羊、迷いまくる
羊飼いが一生懸命ひつじを探しているころ
子羊は、草木も生えていないような石だらけの土地に迷い込んでいました。
ズル
子羊は、足をすべらせて谷に落ちてしまいました。
たーすーけーてーーーー!
迷える仔羊、羊飼いと再開
子羊はただひたすらメーメー鳴き続けました。
そして、この声が探しに出ていた羊飼いに届いたのです。
羊飼いは、子羊を肩にかついで羊達の待つ野原へと戻り、友だちや近所の人たちと一緒に子羊が戻ってきたことを喜んだのでした。
こんな風に、ひとりの罪人が悔い改めたら、その必要がない99人の正しい人以上の喜びが天にあるのです。
迷える子羊のたとえ話、2つのテーマ
迷える子羊のたとえ話には、2つのテーマが隠されています。
1,神さまは私たちを迷える仔羊のように探していてくださる
人は、子羊のように迷いやすい存在です。なにか楽しそうなことがあったらふらふらっとそちらに迷い込み、
気がついたら、オオカミや盗賊が出てくるような不安な場所に迷い込んでしまうのです。
そんな私たちを神さまは見捨てることなく、探していてくださるのです。
2,迷える仔羊が帰ってきた喜びは、99人のクリスチャンよりも大きい
羊飼いには、すでに99匹の羊がいました。
1匹の迷える仔羊はあきらめて、99匹を大事にしても良かったのです。
しかし、羊飼いはそうしませんでした。
羊飼いにとって、迷える仔羊は家族のように大事だったからです。
それと同じように、私たちは神さまに家族同然に愛されています。
今までのことを悔い改めて、神さまのところに戻ってくるなら、
その喜びは、すでに神さまのところにいる99人のクリスチャンよりも大きく、天が喜びに歌うのです。
ルカによる福音書15章3節~7節
ルカによる福音書15章3節~7節
3そこで、イエスは次のたとえを話された。
4「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。
5そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、
6家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。
7言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
日本聖書協会 口語訳 聖書 1955年
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それでは!