こんにちは、あやめです。
レズビアンのクリスチャンです。
そして女の子同士の恋愛モノ、いわゆる百合が大好物。
良質な百合を探してポチってしまった
永田カビ先生の「さびしすぎてレズビアン風俗行きましたレポ」
「心を開くって、どうするんだっけ…」28歳、性的経験なし。生きづらい人生の転機。高校卒業から10年間、息苦しさを感じて生きてきた日々。そんな自分を解き放つために選んだ手段が、「レズビアン風俗」で抱きしめられることだった──自身を極限まで見つめ突破口を開いた、赤裸々すぎる実録マンガ。pixiv閲覧数480万超の話題作、全頁改稿・描き下ろしで書籍化。
キャッキャウフフな百合ものというよりは
本当の自分の気持ちを知り、這い上がるまでのストーリー!
場所によっては、聖句とかぶるポイントもありました。
読んでる時には、こんなツイートを残していました。
寂しすぎてレズ風俗に行きましたレポ、クリスチャン的にもかなり面白い。親との確執に悩んでるクリスチャンに読ませたいわ。エロいけど。
— あやめ@ガチ百合クリスチャン (@vqakhi3thr) 2016年7月1日
風俗レポだから救いのベクトルはかなり違います。なぜ救いを求めるのか、なぜ生きづらいのか。聖書では時代背景わからないと共感しにくいことが非常にわかりやすく書いてある。そんなレポです。エロ耐性あるクリスチャンにオススメ(*´∀`*)
— あやめ@ガチ百合クリスチャン (@vqakhi3thr) 2016年7月1日
個人的には聖書系レポマンガに分類したいレベルです。
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※わたしは風俗を推奨しておりません。性にお悩みのクリスチャンにはこちらがオススメです(*´∀`*)
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親との対立の本質
主人公のカビ先生は、高校卒業後から自分が安定する場所が見つからず鬱と摂食障害になっていました。
自分のやりたいことも見つからず、親の言うままに正社員を目指そうとします。
しかし、面接先で、「本当にやりたい事は多分マンガ」とカミングアウトし
「マンガ、がんばれよ」という一言に背中を押されマンガ家を目指すことに決めるのです。
それからも引き続き親からは正社員正社員言われる事になる
しかし「居心地の悪さ」と言っても
「自分をよく見せようとしたり自分の本心がわからない居心地の悪さ」と
「自分は納得しているけど他人が納得してない居心地の悪さ」は違うし絶対後者のほうがいい。
そもそも親の想定する「立派な大人」像と自分の思う「なりたい大人」像は方向が全く違う事に最近気付いた
なので自分が自分として自分の作品を描くには親のご機嫌を取るのも、そのための的外れな努力もやめなければならない
カビ先生は、自分の気持に正直になることで、親の考えと自分の考えにズレが有ることに気が付きました。
そして、自分の為に、親のご機嫌取りをやめることになるのです。
聖書でも、イエスが布教に出かける弟子たちに
これから肉親や子どもたちが敵対すると予言するシーンがあります。
マタイによる福音書10章34節~39節
34わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすためではなく、剣をもたらすために来たのです。
35なぜなら、私は人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。
36さらに、家族の者がその人の敵となります。
37わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
38自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。
39自分の命を自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分の命を失ったものは、それを自分のものとします。
いのちのことば社 聖書 新改訳 1970年
はじめて見た時はずいぶん物騒だと思いました。
しかし、自分の気持に正直になるとどうしても
過去を知っている人には受け入れがたいことがあるんだとわかります。
本当にやりたいことがある時には、親や子どもたちと対立しなければいけないのです。
自分の姿を知る瞬間
いつまでも良い子でいたくない!自分のことをよく知りたい!という気持ちから
レズビアン風俗の存在をネットで知ったカビ先生。
その翌日から世界が広がり、どこにでも行
けるような充実感が生まれます。
そして、とあることに気がつきました。
やがてある事に気が付いた
私の体や身だしなみだけが世界がまだ広がる前のままだ
広くなった世界のどこへでも行けるように自分をもっときれいにしないといけない(略)服も下着も毎日着替えるようになった
穴が空いたり破れたりした下着や靴下を使い続けなくなった
このシーン、実は旧約聖書の創世記で
アダムとイブが知恵の実を食べてしまったときの反応とそっくりなのです。
創世記3章6節~7節
6そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。そこで女はその実をとって食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
7このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分が裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。
いのちのことば社 聖書 新改訳 1970年
この後、神に知恵の実を食べたことがバレて責任を押し付け合った結果、
エデンから追い出されたのですけれども。
新しい世界・新しい味を知ってから
自分が裸である・服が古いままであるという事に気がつく。
今はわからないけれども、この2つのプロセスには共通点があるとしか思えません。
アダムとイブがレベルアップするために
神が「食べるなよ、絶対だぞ!」と煽ったんじゃないですか?
天国に行ったらぜひ神さまに聞いてみたいです。
どんなところにも出てくる聖書ってとんでもなく面白いんじゃない?
正直、この本を通して聖句を思い出すとは思いませんでした。
もっと深く読んでいったら、色んな所で共通点が見つかるかもしれない。
考えるだけでワクワクします。
皆さんも是非聖書を読んでみてください!
それでは!