こんにちは、あやめです。
今回は聖書に出てくる隠されたタブーについて。
聖書を深く読んでいくと、隠された秘密が見えてきます。
Contents
イエスにお願いに来たローマ百人隊長
イエスは地上でたくさんのひとを癒やしていました。
その噂を聞きつけて難病の方や生まれつき体の不自由な人などが集まってきたのですね。
その中で、使いをよこしてイエスにしもべを癒やして欲しいという外国人が現れました。
当時ユダヤを支配していたローマの百人隊長です。
彼はイエスと直接会うことはせず、使いを出してお願いしてきたのでした。
なぜ百人隊長はイエスに会えなかったのか
人を使いに出すなんて、よほど忙しいのかと思いきや。
マルコによる福音書によると、百人隊長は直接イエスに会いに行っています。
なぜ百人隊長はイエスに会えなかったのでしょうか。
じつは、ルカによる福音書7章7節のしもべには、こんな注釈がされています。
7※あるいは「青年、少年」
病気で死にかけていたしもべは少年だったんですね。
この注釈から、ある可能性が浮かび上がってきます。
[aside type=”warning”]※ここからは私の妄想です。[/aside]
百人隊長としもべの同性愛説
ローマにあってユダヤにないもの、その1つは同性愛です。
キリスト教やイスラム教では同性愛禁止ですが、他の国では盛んに行われていたのですね。
古代ギリシャの特徴は、成人男性×青年。
古代ギリシャ人の同性愛は、今日のものとは少し違います。彼らは思春期以降の青年だけを対象にし、熟年同士のカップルはあり得ませんでした。禁じられた悦楽と言うより、むしろ社会的義務としての「少年愛」と言った方がいいかもしれません。
古代ギリシャ 同性愛 アテネ ゲイ 世界遺産 歴史
古代ギリシャにとって、成人男性と少年との恋愛は、社会的義務だったのです。
出張先のユダヤに、小間使いとして少年を連れて行ってもおかしくありません。
そういえば、古代ローマを舞台にしたテルマエ・ロマエでも
皇帝がエジプトにでかけた時も、少年を連れて行っていました。
手元においていた少年がエジプトで死んでしまい、生きる気力を失っていた皇帝のために
風呂場を作る話がありましたね。
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今回登場している百人隊長としもべも
古代ギリシャの習慣通り成人男性×青年です。
おそらく、二人は同性愛関係にあったのでしょう。
ユダヤでは罪に当たる同性愛。それでも助けたい。
心底愛していた青年が死にかけていたらどうするか?
なにがあっても助けるのが愛というものでしょう。
しかしながら、ユダヤでは同性愛は罪。
ローマ百人隊長はユダヤ人を尊重していましたから、直接会うのはやばいと思ったのかもしれません。
なので、百人隊長はおどろきの行動に出たのです。
僕たちに会う資格はありません、しかし言葉をください!
彼は、使いを出して死にかけているしもべをいやしてほしいとお願いしてきました。
その願いを叶えるために、イエスは百人隊長の家に向かいますが、
イエスもおどろくことが起こったのです。
ルカによる福音書7章6~8節
6イエスは、彼らといっしょに行かれた。そして、百人隊長の家からあまり遠くない所に来られた時、百人隊長は友人たちを使いに出して、イエスに伝えた。
「主よ。わざわざおいでくださいませんように。あなたを私の家の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。
7ですから、私の方から伺うことさえ失礼と存じました。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、わたしのしもべは必ずいやされます。
8と申しますのは、私も権威の下にあるものですが、私の下にも兵士がいまして、そのひとりに『行け。』といえば行きますし、別の者に『来い。』といえば来ます。また、しもべに『これをせよ。』といえば、そのとおりにいたします。」
いのちのことば社 聖書 新改訳 1970年
イエスはこの百人隊長の信仰に感激し、「こんな信仰はイスラエルの中でもみたことがない」とほめました。そして、しもべはいやされたのです。
愛は宗教を超える!
きっといやされたしもべといっしょに喜んだに違いありません!
たった1ページもない箇所にコレほど深い物語が書かれている。
やっぱり聖書は奥深い。
もっと楽しいBLが見つかった時はぜひ教えて下さい!
それでは!