神社仏閣に参拝する本質について

こんにちは、あやめです。

先日、こんな質問をいただきました。

私は生まれた時から小6までの日曜日に礼拝をした身でした。
最後に行ったのが半年前です。
ちなみに洗礼はしていません。
自身がクリスチャンなのかどうかわかりませんが、2年前から神社や寺に参拝するようになりました。
御朱印ももらっています。
参拝する理由はやはり日本は神道と寛容な仏教の国と解釈しています。
歴史的な面と文化や風習を守って日本人らしく生きたいのもあります。
物心ついた時から神社に参拝してたりしたい気持ちでしたが親が認めなかった為、縛られた感じはしています。
あなたは参拝(本堂に手を合わせる)をしますか?

 

お手紙どうもありがとう。

じっくり読ませていただきました。

 

質問者さんは礼儀正しい方なのですね。

歴史的な面と文化や風習を守って日本人らしく生きたいというのはよいことだと思います。

日本は神道と寛容な仏教の国であることも間違いないでしょう。

 

神社仏閣は、キリスト教が入る前から人々の祈りを支える場所でした。

他の信者が来ても寛容なので、ゆるく付き合うにはちょうどよいかと思います。

 

問題は、彼らが仕えている神に祈りを聞いてほしいか

ということなのです。

神社仏閣は、神仏がおあす場所です。

そこで祈る願いは、神仏が聞き預かることになるのです。

 

 

 

宗教は家族のようなものです。

 

自然が家族なのが神道

ブッタが家族なのが仏教

イエスが家族なのがキリスト教

 

家族である以上、ルールに縛られることはあります。

門限を過ぎているのに帰らなければ怒られるでしょう。

しかし、家族には外で言えない悩みを話すことができます。

 

ご近所さんでも、顔をあわせればあいさつをすることもありましょう。

礼儀を尽くして、相手の流儀に合わせることもありましょう。

でも、家族の事情に首を突っ込んでいいのは家族だけです。

 

私は大学の進学先を宗教で選んだことがあります。

オープンスクールのときにパソコンで絵馬を印刷するアクティビティがあり、

印刷された絵馬は神社で祈祷される予定でした。

 

普通だったら引っかからないことかもしれません。

しかし、私はキリスト教なので絵馬は外してほしいと頼みました。

大学に入りたいという祈りは、イエス・キリストに聞いてほしいと思ったからです。

結局、ミッション系の大学に進学することにしました。

 

神社仏閣に行っても、礼儀として会釈をすることもありますが

手を合わせることはほとんどしません。

手を合わせるべき方はイエス・キリストのみと決めているからです。

私の悩みはイエス・キリストのもの。これだけは譲れません。

 

質問者さんは親御さんがクリスチャンのようでしたので

キリスト教のルールや習慣が息苦しく感じたのだと思います。

ゆるく付き合っていく神道や仏教が気楽だと感じたのではないでしょうか。

 

あなたが文化や風習を守って日本人らしく生きたいと思うことはいいことだと思います。

自分のペースでゆるく付き合っていくのも悪くないでしょう。

しかし、それ以上に大切なあなたの心を預ける神を見出してほしい。

 

キリスト教ガチ勢の私はそう願っています。

 

最後に、宗教を求めてコーランをはじめとした宗教書を読み漁った露の団姫さんの本をご紹介しておきます。

神様との付き合い方の参考になりますように。

それでは!