私はクリスチャンとしてもレズビアンとしても幸福になりたい

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こんにちは、ガチレズクリスチャンのあやめです。

バイブルキャンプという、クリスチャンを集めたキャンプに参加しています。

クリスチャンに囲まれて生活する中で強められた思いがあります。

クリスチャンとしてもレズビアンとしても幸せになりたい!という気持ちです。

クリスチャン最高!でもレズビアンでは?

仕事を辞めてから、教会に多く関われるようになりました。

10年ぶりに青年キャンプを復活させたり、ブログでクリスチャンネタを扱ったりと
クリスチャンとして活動することが多くなりました。

そのひとときはとても楽しいです。

でも、もう一人の私がふとささやきます。

レズビアンの私をおいていかないで。と。

置き去りにされたレズビアンの私

ブログで堂々とガチ百合クリスチャンと名乗っていますが、

リアルではクリスチャンであることだけ話しています。

就職のため地元に帰ると決めたとき、

地元でLGBTSの人とは出会うことができないだろうと見切りをつけ、恋愛をあきらめていました。

県外で恋をしたこともあります。

しかしすべて失敗しました。

東京でLGBT系のイベントで、自分の仲間達と集まっても、帰る頃には虚しい自分がいました。

イベントにくるような幸せそうなカップルに私はなれないと決めつけていたのです。

幸せをあきらめるとすべてが虚しくなります。

それでも生活のために働いた結果、働いても喜びを感じることなく、

怒りだけが積み重なり心が限界を迎えてしまいました。

そして仕事を辞めるまでに至ったのです。

クリスチャンとして活動し、喜びを得なければこの事実にたどり着かなかったでしょう。

神さまはレズビアンである私を愛している

クリスチャンの私は幸せになれる。

だけどレズビアンの私は幸せになれない。無意識にそう思いこんでいました。

しかし、忘れていたのです。神さまは私のことを愛していることを。

聖書にはたしかに同性愛を否定する文脈があります。

しかし救いの中心は同性愛否定ではありません。

神さまが取るに足らないような私を十字架にかかることによって買い取ってくださった。

それは神さまが私を愛して下さっているからなのです。ここが救いの中心なんです。

神さまは私がレズビアンであることを承知の上で救って下さった。

クリスチャンの私、レズビアンの私といった狭い範囲の救いではないのです。

どんな側面があろうと神さまは愛してくれます。

だからレズビアンな私も幸せになれるんです。

レズビアンの私が願うこと

私にはレズビアンとしての幸福は訪れないと思っていました。

しかし、今ならこう願うことができます。

私の将来のレズビアンパートナーと出会わせて下さい。

どうか、将来のパートナーに見合うだけの私にしてください。
それでは。