【カルト対策】ガチ百合が聖書で遊ぶときのたった1つのルール

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こんにちは、あやめです。

聖書を読んで考えるのが大好きです。

聖書から百合やBLを見出してみたり、クラウドファンディングの原型を見つけたりと

いろんな読み方をしています。

自由に聖書とつきあうのはとても楽しいですが、とある危険性があることも分かっています。

それはカルト化すること。

 

カルトと聞くと、特定の集団を想像するかもしれません。

しかし、たった一人でもカルトに陥ってしまうことがあるのです。

それを防ぐため、聖書を読む際に守っていることがひとつだけあります。

それが正しいと思い込まないことです。

 

正しいと思い込まない!

聖書はクリスチャンにとって考え方の中心となる本です。

人生に悩んだ時には、助けになることが書いてあります。

しかしながら、あまりに偏った考え方で聖書を読むと

都合の良いことばだけが目に止まり、それが正しいと思ってしまうのです。

 

ガチ百合、とあるカルトにハマる

実は、高校生のときにトンチンカンな読み方をしたことがありました。

聖餐式という、キリストの肉と血であるパンとぶどう酒を頂く儀式をうける資格がなかった時のことです。

聖書を読んでいてなぜか

「聖餐式ができるようになるまでは、ぶどう製品を口にしてはいけない!」と思い込んでしまったのですね。

本当にぶどう製品を断ってしまったのです。

いわば、「聖餐式までぶどう製品を食べない教」のカルトに走っていたのです。

飴玉の中にグレープ味があったら確実にゲットしていたくらいぶどう好きだったにも関わらずですよ。

とにかく必死で守っていました。

 

コンビニでファンタグレープ見てもガマン。

友達が地方限定のぶどうドロップ買ってきてもガマン。

とにかくガマンしていました。

なんでぶどう食べないわたしの前でおいしそうにそんなもの食べてるんだ!と

無性にイライラしたこともありました。

 

あるとき、ふと思いつきました。

これって、神さまが守れって言ったことだっけ?違うよね。

気がついたら、ぶどう製品を断つことが正しいことだと思い込んでいたのです。

それ以来、ぶどう製品を安心して食べることができたのです。

ちなみに、「聖餐式までぶどう製品を食べない教」の根拠となった聖句をいまだに見つけられていません。

 

 

思い込みはカルトの始まり

高校生のときのわたしは、今はもう引くこともできない聖句により、

「聖餐式までぶどう製品を食べない教」の信者になっていました。

高校生ゆえの無邪気さが生み出した宗教でしたが

キリスト教の教えとはかけ離れているものです。

このときは、自問自答のおかげでカルトから脱出できましたが

思い込みが発展していたら、人に正しいことを押し付けたり、迫害が始まったりしていたでしょう。

思い込みはカルトの始まりなのです。

 

聖書に立ち返ろう

聖書にはたくさんの教えが詰まっています。

しかし、大事なのは表面的なことにこだわるのではなく

その本質に向き合うことなのです。

いくら面白い解釈をしたからといって、

それを正しいと思い込んでしまったら不幸になるだけなのです。

思い込みそうなときは、聖書に立ち返りましょう。

カルト。ダメ、絶対。

それでは。