聖書ネタ:「愛」にも3種類の使い方があるのでネコで例えてみた

こんにちは、あやめです。

プロテスタントのクリスチャンです。

 

キリスト教において、もっとも大事にされていること

それは「愛」です。

自分を愛するように隣人を愛しなさいということばが聖書にはあります。

別の箇所にはこんなことも書かれています。

聖書にたびたび出てくる「愛」ということば、実は日本語に訳す前は

3種類だったことをご存じでしょうか。

ギリシャ語で

  • エロス
  • フィレオー
  • アガペ

の三種類です。

今回は、この3種類の愛について解説します。

エロス:下心の愛

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エロス、グヘヘと良からぬ妄想をした人いるかと思います。

エロスとは、3種類の愛の中で自己中心的な愛と評されます。

わたしの感覚だと、下心です。

聖書辞典に当たると、以下のように説明されます。

生まれながらの人(不信者)の持つ愛(エロス)は、自己中心的な愛。相手に愛される資格あるやいなやを問い、相手から奪う愛。たとえば愛という語を男女両性の恋愛や情愛に用いる時、それは上述の愛を意味する。

 

※恋愛事が男女に限定されているのは、辞書が1961年に出版されたものだからです。

 

こういうことしたら、あの人わたしに都合のいいことしてくれるかも

こういうことしたら、みんなが一目置いてくれるかも。

という打算的な気持ちをもつことを言います。

 

ネコがなにか欲しい物があったときに、

にゃ~と甘えた声で近づいてくることありますよね。

そしたらついつい触りたくなったり、エサをあげたくなったりします。

エサをあげれば次にあった時にも出てきてくれますが、

あるときに、エサをあげなければそれっきりになってしまうことも多いです。

 

そのネコの目当ては人ではなく、エサだったのです。

非常に打算的で、自己中心的な愛なのです。

 

 

フィレオー:親愛

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某ハンバーガー屋さんのお魚ハンバーガーのことではありません。

フィレオーとは、先ほどのエロスよりもひとつ踏み込んで、

信頼の気持ちが芽生えたときに使うことばです。

フィレオー(愛する)は友愛とも訳されることばで、親愛の気持ちをもって相手のことを配慮するといった愛。

 

エサで釣らずに仲良くなったネコは、

その人を見かけると、しっぽを立ててあいさつしてくれるようになります。

時には、足に擦り寄ってくれるでしょう。

そこには、確かにネコとの絆が生まれているのです。

 

しかし、知らない人が来たり、何か危機が迫った時にネコはどんな行動を取るでしょうか。

一目散に逃げてしまうでしょう。

 

信頼の気持ちはあるけれど、命がかかった時には逃げてしまう。

それが、フィレオーなのです。

 

アガペ:自己犠牲の愛

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聖書的キリスト教的愛(アガペー)は、前者と全く異なる自己犠牲の愛。相手に愛される資格ありやいなやを問わずに愛する愛、自己を与える愛。生まれながらの人の心はこの愛については少しも知ることはできない。

アガペーの愛は、相手に見返りを求めません。

いざというときには、自分の命をかけて愛を貫き通します。

2014年に、アメリカで犬に襲われた飼い主の息子を救うために

体当りして犬を追い払ったネコ、タラが有名になりました。

この自分を顧みない愛情こそ、アガペなのです。

聖書では、この愛を実行するようにクリスチャンに教えられているのです。

 

聖書が実行せよと言っている愛:アガペ

人によいことをしたら見返りをもらえると期待したくなります。

しかし、キリスト教的に言えばそれはエロスという下心の愛であり

裏切られたら終わってしまう愛情です。

 

聖書では、見返りを期待しないアガペの愛を実行するようにと教えられているのです。

法律に縛られることなく、自分がほんの少し優しい気持ちになって出来ることをするのなら、

アガペの愛を実行することが出来るのです。

もっと自由に愛を実行しましょう!

それでは!