教育の力ってすげーって改めて思うたったひとつのこと

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こんにちは、あやめです。

レズビアンのクリスチャンです。

ニートになる前、教師を目指していました。

学校での理想と教育実習の現実につまずいて諦めてしまいましたが。

学生時代の思い出はあまりありません。

ひとつだけ、教育の力ってすげーと思っていることがあります。

それは、差別用語を勉強できたことです。

ナチュラルに混ざる差別用語

クリスチャンの信仰のお供といえば聖書ですが

私が使っている聖書は翻訳が半世紀前と古い翻訳のものなのです。

それ故、聖書に出てくることばには、ときどき差別用語が混ざっています。

みなの心の支えとなる聖書なのに、キリスト教は差別主義なのか?

と思うかたもいるでしょう。

しかし、忘れてならないのがこれが半世紀前の翻訳だったということです。

その当時、そのことばが差別用語ではなかったのです。

そのことばを差別用語として理解することができたのはなぜか

それは教育です。

教育が差別の意味を教えた

そのことばが差別用語であったとしても

そのことばをナチュラルに使う人がいれば差別用語とはすぐに判断できません。

差別用語が出てくる聖書を持っており、

また、私の住んでいる地域では差別用語がときどき飛び交います。

差別用語が差別用語であることを発見しづらい環境なのです。

 

もしも、周囲が話している差別用語と聖書の言葉をそっくり飲み込んでいたら

差別用語を普通の言葉として身につけてしまっていたでしょう。

わたしが差別用語を差別用語として認識し、使うことがないのは

学校教育で差別のことを教えられてきたからです。

 

教育の力ってすげー!

いじめや単位未履修問題など

現在の学校現場には克服するべき面があります。

しかし、どんなことばが人を傷つけるのかということを

学校で教わることができました。

学校がなければ、わたしはどんなことばが差別用語なのか

知ることはできなかったでしょう。

教育の力を改めて思います。

教育の力ってすげー!