【書評】いのちのことば社『”「信仰」という名の虐待”からの回復-心のアフターケア』はキリスト教徒全員が読むべき本である

こんにちは、ガチレズクリスチャンのあやめです。

レズビアンのクリスチャンです。

クリスチャンにとって、信仰の拠り所である教会。

しかし、一部の心ない牧師や教会員長により、ズタボロにされてしまうことがあります。

本人は一生懸命であるため、本当に倒れた時にしか気づかないということさえあります。

もしも、そんな方が自分の近くに来た時には

この本を是非参考にして、その方を支えて欲しいです。

今回はいのちのことば社

『「信仰」という名の虐待”からの回復-心のアフターケア』について解説します!

信仰という名の虐待のむごさを知ろう

牧師 が、自分の欲求が満たされることだけを考えて、そのために信者たちの心を利用するようになるなら、これは〝「信仰」という名の虐待〟だと言えるでしょう。

初めて教会を訪ねる人は聖書について、ほとんど知識がありません。多くの場合、全く知識がない のです。〝虐待〟を行う牧師は、その状況をうまく利用します。自分の聖書解釈こそが聖書の本当の教えであると、簡単に信者に信じさせることができます。そうした環境の中で牧師は信者たちに、自分で考えないように教育することができます。そのように教育され、最終的に信者たちは、無条件で牧師に従わなければ、自分が「罪」を犯すことになると信じ込みます。

信仰という名の虐待とは

カンタンに言うと、牧師や神父・教会員長など

その教会で権力を持つ人が、信徒を自分の欲のためにコントロールすることです。

聖書の言葉を巧みに使い、

牧師以外に信じられるものがないという状態にまで追い込まれてしまします。

そして、自分のことを自分で決められなくなるのです。

小さい時から聖書を読んでいるなど

知識の豊富な方は、異変を感じて逃げることができますが

聖書の知識がなく、はじめて教会に行ってみたという方の場合

その教会が、キリスト教のリアルなのだと信じてしまい

気がついたらボロボロになっていたということもあるのです。

そんな人達がもう一度立ち上がることは

並大抵のことではありません。

 

 

虐待を受けた人は悪くない

願っていないこと、望んでいないことが起こったとき、人は自分を責める必要がありません。なぜでしょうか。そのことについて、自分に直接的な原因があるとはいえないからです。自分たちが知らないうちにマインド・コントロールされたことを理解しなければなりません。

破壊的カルトは、本人に気づかれずに、意識操作や思想改造をすることで、人々のアイデンティティーを操作し、その団体とリーダーの個人的な目的と野望のために、メンバーたちを働かせようとします。そして、自分たちはコントロールや支配を受けたのではなく、自発的に行ったと信じてしまいます。

虐待を受けて逃れた方に出会ったとき

どうして、こんなことになる前に逃げ出さなかったのか、もっとマシな方法はなかったのかと

被害者を責めたくなるかもしれません。

しかし、実際には虐待者によりマインドコントロールをされてそうなってしまったのです。

気がついた時には、ひどい状態に置かれていたのです。

その事実に苦しんでいるのは、虐待から逃れた本人なのです。

そして、虐待者から受けた指導の後遺症に悩まされています。

虐待にあった方に非はありません。

むしろ、そばにいるべき方々なのです。

ただそばにいる

苦しんでいる人を支えるとは何か 苦しんでいる人を支えるとは何か。 それは、先導することではない。 それは、見下すことではない。 それは、過保護にすることではない。 それは、すべての解答を与えることではない。 苦しんでいる人を支えるとは何か。それは、その人と同行すること。 それは、ただ、黙って、その人のそばにいるだけ。 それは、その人と手を取り合うこと。 しかし、手を取り合ってから、どの道を取るか、それは、その人が決めること。 (ジャニヌ・ピーロによる)

誰かを救えるかもしれないという事実に

クリスチャンはついついおせっかいをしがちですが、

大事なことはただ一緒にいることです。

その方々によって、心の傷の深さはそれぞれです。

また、その傷の治り方も人によって異なります。

焦れてしまっては、いけません。

忍耐強くその人のそばにいる。このことが大事なのです。

キリスト教には信仰という名の虐待がある

一部の教会の中には確かに〝虐待〟が存在するということです。ですから、被害を訴える人がいれば、その人の話をよく聴き、いろいろな面から慎重に検討し、本当にそれがあるかどうかを判断する必要があるのです。そして、確かに〝虐待〟を受けたことが明らかになった場合には、被害者の心のケアを行わなければなりません。これはキリスト教のーつの使命だと思います。

信仰という名の虐待

このことばほど重いものはありません。

私もはじめこの本を見た時には、とても信じられるものではありませんでした。

しかし、温かい家庭に恵まれる方と辛い家庭に置かれる方がいるように

教会もまた然りなのです。

この本は、信仰という名の虐待という酷い現場を知るための本になるでしょう。

そして、信仰という名の虐待から逃れた人達にどうアプローチすればよいのか

考えるヒントになりますように。

クリスチャンにオススメします!

それでは!