【書評】この教会大丈夫?と思ったらいのちのことば社『「信仰」という名の虐待』を読むといいよ。

 

 

こんにちは、ガチレズクリスチャンのあやめです。

レズビアンなクリスチャンです!

クリスチャン生活にとって

礼拝を守る場、教会は大切なモノです。

しかしながら、自分との相性が合わなかったり

聖書の教えを曲げて教えてしまっている教会に遭遇することがあります。

特に、一つの教会しか知らなかった場合

これがキリスト教のスタンダードだと信じ、一生懸命他の教会員に合わせている間に

ボロボロになってしまうのです。

そんなことは、クリスチャンとしてあって欲しくありません。

一瞬でも、この教会大丈夫なのか?と疑問をいだいたときに読みたい本

いのちのことば社『「信仰」という名の虐待』について解説します!

 

 

 

キリスト教のダークサイド

牧師と 長老たちが自らの欲求のみを満足させるために信者たちの心を利用するようになると、これは『信仰』という名の虐待となります。

キリスト教なのだから、信者や牧師・神父はいい人ばかりに決まっている!

と思っている方、多いのではないでしょうか。

しかしながら、光当たるところには陰も出るように

負の面も持ちあわせてしまうのです。

特に牧師や神父、教会員の委員長が少し独裁的な考えを持っていた場合、

その特権を用いて信者をコントロールしようとするのです。

最近まで、この問題は隠されてきており、

カトリック教会では近年まで性的虐待という大きな犯罪の隠れ蓑となってしまいました。

これを突き止めたアメリカ新聞社のエピソードが映画化され、キリスト教界において大きな話題となりました。

 
 

 

立場や聖書を利用した虐待

牧師や長老たちは、自分たちの言うことに逆らうならば、それは神さまに反逆することと同じだと言って、相手に強い罪責感をもたせます。罪責感を植えつけられた人は、牧師に背いて自分の意思を持つことに対して強い恐怖感を抱くようになります。そのために、教会だけでではなく、社会生活においても自分の音志を表すことをあきらめるようになり、牧師や長老たちから支配されるままになっていきます。

「信仰」の名のもとに虐待を行う教会は、宗教という仮面をかぶって、税制面などさまざまな法律上の特典を得ようともくろんでいます。宗教の仮面を不法に身につけ、善良な教会というイメージを与えようとしています。そして不法な行為を正当化するために、自分たちの受ける非難をすべて宗教 上の差別であると唱えたりします。

確かに牧師は聖書のみことばを使っています。けれども一部分だけです。聖書の文脈、歴史的背景、原語を完全に無視して、勝手に独自の解釈をつくり、信者に教えます。しかし、部分的にではありますが、聖書を使うので、信者たちは聖書を見るたびに、その話は聖書の教えであると思い込みます。

見ているだけで恐ろしい…。

どんな手を使ってくるのかを事細かに解説してくれるので、

通っている教会が本当に信仰に立っているか、

牧師や神父の欲求を達成するために使われていないかチェックすることができます。

 

教会が合わないのはあなたのせいじゃない

せっかくキリスト教を知ったのだから、救われたのだから

神さまのために働きたい!思うこともあるでしょう。

しかし、それは自分のできる範囲でいいのです。

牧師や神父が目標を立てるところもあるでしょうが、

それが達成できなかったからといって人格を否定される筋合いはありません。

そんなことが起きるなら、その教会がおかしいのです。

あなたのせいではありません。

 

教会が苦しいと思ったらとりあえず距離置きましょう

重荷を背負っているものは私のところに来なさい

というイエスの言葉があるように、

教会はもともといるだけで安らぐことが出来る場所です。

しかし、教会にいて息苦しいなら、なにかおかしいというサインです。

牧師や神父、教会員の方に遠慮せず、堂々と距離をおいて下さい。

信仰に建つ教会ならば、顔を出したときに歓迎してくれるはずです。

もしも、通っていた教会に行きたくないならば、

プロテスタント教会ならキリスト教会マップを利用して探すことができます。

 

教会にも、本物と偽物があるのです。

おかしいと思ったらとにかく距離を置きましょう!