私が聖書をネタとして扱える理由

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こんにちは、あやめです。

女の子同士の恋愛モノが好きなレズビアンのクリスチャン

略してガチ百合クリスチャンです。

この名前を見つけるまでに13年ほどかかっていますが、

自分の本質をことばで表現してからというもの、中高生時代に

何が好きだったのかを思い出してきました。

私は、百合オタクになる前まではキリスト教オタクだったのです。

小さいころの読書経験が下地となって

今、聖書をネタとして扱えるようになっています。

百合オタクの前はキリスト教オタクだった

今ですら立派な百合オタクですが

百合に出会うまでは、キリスト教関係書ばかり読んでいました。

本を自分のおこづかいで買うことを覚えるまで

周りにあったキリスト教関係本を手当たり次第読んでいたからです。

そして、キリスト教関係書を読むことが

私にとって当たり前のことだったのです。

教会という環境が作ったキリスト教オタク

明治時代から代々続く血縁クリスチャンです。

中学校に上がるまでは、当然のように日曜日には教会に通っていました

小学校当時は子どもの礼拝と大人の礼拝の2種類があって

大人の礼拝が終わるまでは、別室で暇をつぶしていたのですね。

そのときに読める本といえば、ほとんどがキリスト教関係本。

新旧約聖書をわかりやすく絵本にしたものや

手塚治虫が執筆した聖書マンガなど

とにかく暇つぶしに読んでいました。

教会に常備している本などは、よっぽどのことがなければ

新しく買い足されることはありません。

毎週読んでいるうちに、途切れ途切れながらも

頭に残っていったのですね。

おかげで聖書というものが、絵本のように身近になっていました。

読書時間に聖書もっていってセルフ通読していた

中学校に上がると、部活があり教会にいけなくなります。

それを補うために、中学校の読書時間に

聖書を持ち込んだことがありました。

クラスメイトからはなんか分厚い本を持って来たなと驚かれましたが

気にせずに旧約聖書の頭から読んでいました。

知らない間に、聖書を頭から終わりまで読み通す

通読に挑戦していたのです。

さすがに、教会で触れていない箇所にぶつかると理解できなくなって

途中から一般書に変更していましたが

それでも選んだのはキリスト教関係本ばかりでした。

どんな過去も自分につながっている

本気で最近まで忘れていた過去でしたが、

そんな自分の行動のおかげで、いま聖書をネタとして扱えるようになりました。

昔の自分、ありがとう。