サマリアいうことばを聞くとクリスチャンには思い出すエピソードがある。

こんにちは、ガチレズクリスチャンのあやめです。

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昨日渋谷クロスFMというネットラジオを聞いていた時なのですが

その時の番組名と、協賛会社名にめちゃくちゃ反応してしまいました。

番組名「GLoBaL’T Rainbow サマリヤ G-Channel」

LGBTがテーマのインターネットTV番組です。

協賛会社「株式会社サマリヤ社」

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どちらにも、サマリアということばが入っていますよね。

実はこのことば、クリスチャンにとってはとても親しみのあるモノなのです。

善きサマリヤ人のたとえと、イエスに出会ったサマリヤの女のエピソードを思い出すからです。

サマリヤとは

サマリヤとは、古代イスラエルのサマリヤ地方やそこに住む人達のことを指します。

しかし、その過去は苦しいものでした。

サマリアは北の王国、イスラエルの首都であったが、アッシリア王サルゴン2世の攻撃により紀元前721年に陥落。住民は捕囚の民となり指導的地位にあった高位者は強制移民により他の土地に移され[1] 、サマリアにはアッシリアからの移民が移り住んだ。このときイスラエル王国の故地に残ったイスラエル人と、移民との間に生まれた人々がサマリア人と呼ばれた。

 

彼等はユダヤ人にイスラエル人の血を穢した者といわれ迫害を受けていた。また、捕囚から後、アッシリアの宗教とユダヤ教が混同したものを信じ、ユダヤ教に対抗して特別な教派を形成していたため、ユダヤ人はサマリア人を正統信仰から外れた者達とみなし、交わりを嫌っていた。実際、サマリア人はヘレニズム時代、ナーブルスのサマリア神殿にギリシアの神の像を持ち込んだこともあった。また、ユダヤ人によって聖地エルサレムから閉め出されていたため、ゲリジム山に神殿を建てていた。

同じイスラエル人をルーツに持ちながらも、忌み嫌われ、遂には律法を歪めた民族として袂を分けられた存在。

それがサマリヤなのです。

当然、キリスト時代のユダヤ人はサマリヤ人をひどく嫌っていたのですが

イエスは、彼らを差別することがありませんでした。

 

イエスのたとえ話に出てくるサマリヤ人

 

 

新約聖書にもしばしば登場し、イエスの福音を受け入れたものも多かった。また、イエスも彼等を迫害の対象とはせず、「隣人」として受け入れていた。

善きサマリヤ人のたとえ

イエスが律法学者に「どうしたら永遠の命を得ることができるか。」と聞かれたときのことです。

イエスははじめ、律法のとおりに「あなたの隣人(となりびと)」を愛しなさいと答えましたが

その隣人は誰ですかと聞かれたたのであるたとえ話を出しました。

ルカによる福音書10章30節から37節

30イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。

31たまたま、司祭がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。

32同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。

33ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、

34近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。

35次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、わたしが帰りに払います。』

36この三人のなかでだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」

37彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。

いのちのことば社 聖書 新改訳 1970年

 

 

株式会社サマリヤ社さんの名前の由来もここにあるようですね。

サマリヤ社の由来

有名なイエスの説法にある「善きサマリア人」という逸話に基づき
「自分が不利益を被るリスクを顧みず人助けをする」という教えが由来となっています。

私たちサマリヤ社は、この精神を尊重し、あらゆる人々の生活に一つでも多くの安心と笑顔をお届けし、より豊かな社会の実現を目指してまいります。

補足するとレビ人は先祖代々の司祭の一族でした。

司祭もレビ人も誰よりも律法を知っているはずなのに、大ケガしている人を見て逃げてしまったのです。

どんなに相手に嫌われていたとしても、その人のためにできることをしたサマリヤ人。

このエピソードを聞くたびに心が暖かくなりますが、

同時に、わたしはだれかの隣人になれているのかと

自分を見つめ続ける日々です。

イエスと出会ったサマリヤ人の女性

イエスはたとえ話にサマリヤ人を出しただけでなく、実際にサマリヤ人にも会っています。

その出会いは劇的に彼女の人生を変えたのでした。

サマリヤの女

嫌われ者のサマリヤ人の中でも特に嫌われていた女性がいました。

 

何があったのか分かりませんが、5回も結婚を繰り返していて

今度は離縁もせずに他の男性と一緒に住んでいたのです。

 

結婚観に多様性が出てきているわたしでさえも、これにはビックリします。

ましてや離婚がよく思われていない古代ですから、彼女は相当に荒れていたのではと想像します。

彼女はだれにも会いたくなくて、人が出てこない真昼に井戸水を汲みに行くところでイエスに出会いました。

 

イエスVSサマリアの女

彼女の心の傷はかなり深くそれ故に心の壁も厚いものになっていました。

 

はじめイエスは水を飲ませてくださいと彼女にお願いするのですが、

なんでユダヤ人なんかがサマリヤ人に水を飲ませてくれなんていうのよ!(意訳)

 

と取りあってくれません。

それでも根気よく彼女と会話を進めて、

 

この井戸から水を飲んでも乾いてしまうけれども、わたしが与える水を飲む人は

いつまでも乾くことがないんだと説得します。

水をくまなくていいならはやくちょうだい(意訳)

とこれまたつっけんどんな言い方をします。

 

そして唐突に、あなたの夫を連れて来なさいと言われると動揺したのか

わたしには夫はいませんとごまかそうとすると

そうだよな。あなたは5回結婚をしていて今一緒にいる人は夫ではないものな。

 

とズバリと言い当てられ、イエスに対して素直になり、頼るしかなくなるのでした。

わたしを信じなさい

彼女は長年の謎だった、神をどこで礼拝するべきなのかという問いをキリストにします。

ユダヤ人が聖地としていたのはエルサレムでしたが、サマリヤ人は別の山を聖地にしていたのです。

それに答えたのが、この箇所です。

ヨハネによる福音書4章21節~24節

21イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。貴方がたが父に礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。

22救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。

23しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。

24神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。

いのちのことば社 聖書 新改訳 1970年

 

どんな場所で礼拝するのかではなく、どんなものによって礼拝するのかが大事なのだとはっきりと宣言するのです。

そして、心を固く閉ざしていた女性はイエスによって劇的に癒されました

今まで人目を避けていたのに、町に向かい、

わたしを見てくれ!キリストがきた!

と堂々と宣言するようになったのです。

 

このエピソードを愛する人も多く、サマリヤの女という曲も作られているほど

わたしもこの曲が大好きです!

小さい頃から歌っています。

昔は意味がわからりませんでしたが、今歌うと心に響くものがあります。

 

善きサマリア人のたとえは、どんなことが本当によいことなのかを思い起こし

サマリヤの女性のエピソードはキリストによっていやされたときの喜びをもう一度噛みしめることができる大事な聖句です。

このことばを日常で聞くことはないと思っていたら

会社名にされているところがあると知ってかなり嬉しかったです。