まだ他人まかせな愛し方で消耗してるの?

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こんにちは、あやめです。

愛する・愛されるってほんとむずかしい問題です。恋人とすれ違い悩んでしまったり、昔のトラウマで愛し方を忘れてしまったり。でも、愛の側面をきちんと捉えると、どうしたらいいのかちょっと見えてきます。

愛も欲

もしもお腹が減ったら、なにか食べたいと思いますよね。コレが食欲です。つかれて眠りたいというのは睡眠欲です。それと同じように、人を愛したい・愛されたいと思うのは「愛欲」なのです。食欲・睡眠欲と同じように愛欲も人に備わった自然なものですが、手に入れる方法を間違えると大変なことになります。

 

他人まかせな愛情は消耗する

人を愛することは、ときに自分が犠牲になります。自分が愛に飢えているのに、他人に愛を分け与えることができるでしょうか。はじめのうちは、いいことをしたといい気分でいられるかもしれません。そんな自分に酔って、もっといいことをしようと思い始めます。しかし、だんだん自分の取り分が減っていくことに怒りを覚えます。そのうち出し渋ったり、時にはなんで私に帰ってこないんだ!と怒りをあらわにしてしまうのです。この人はその一方で、他人から愛情をもらおうとすると、逆のことがおきます。はじめのうちはもらえるかもしれないけど、だんだん少なくなり、最後にはもらえなくなるのです。愛を他人任せにしていると、もらおうが与えようが最後には全てなくなってしまうのです。

愛は作物

他人からもらえないなら、愛をどうやって手に入れればいいのか。育てるという方法があります。育てることは手間ひまがかかります。ときには、土を耕すことからはじめなければいけません。それでも毎日耕して、世話をしていればいつかはたくさんの実が結びます。自分一人では食べきれないほどになるでしょう。そうなってはじめて他の人に配れるようになるのです。愛はお腹いっぱいになってはじめて他の人にも与えられるようになるのです。

 

コンクリートがしかれた心は身を守ってきた証

中には、心の畑にコンクリートをしいてしまった人がいると思います。それをだれも責めることはできません。だれにも理解されず、声を上げることができなかった人がやり過ごすために、仕方なくコンクリートをしいてしまっただけなのですから。コンクリートになってしまったのなら、はがせばいいんです。そこから始めればいいんです。

 

踏みつぶされるなら逃げよう

いざ心のコンクリートを剥がそうとしても、他人がこちらの都合も知らず踏み込んでくるなら安心して耕すことができません。そんな場所なら一度逃げてしまえばいいのです。たくさんの思い出やしがらみがあることでしょう。それらはすべて過去のトロフィー。たまに思い出してニヤニヤしたり懐かしんだりするくらいしか役割はありません。体に栄養があっても、心が飢えているなら人生に意味はないのです。消耗する場所から逃げてゼロからスタートしましょう。心さえ回復すれば人間なんでもできますから。